スラヴ舞曲とユーモレスク

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Antonin Dvorak 1904 by Jan Langhans” by Jan Nepomuk Langhans – http://www.flickr.com/search/?w=all&q=J.+F.+Langhans&m=text. Licensed under Public domain via Wikimedia Commons.

先日、ドヴォルザークのスラブ舞曲のCD(クーベリック指揮、バイエルン交響楽団)を購入したのですが、すっかり気に入ってしまって何度も聴いています。もともとドヴォルザークは好きな作曲家ですが、民族色の濃いメロディーにもかかわらず、懐かしくも感じられる美しい曲ばかりです。

ちなみに、クライスラーは、ドヴォルザークの作品をヴァイオリン用に多数編曲しています。「スラブ舞曲」も私の知る限りでは、

  • ドヴォルザーク「スラブ舞曲」作品46の2番は、クライスラー編曲のスラブ舞曲1番 (in G Minor)
  • ドヴォルザーク「スラブ舞曲」作品72の2番は、クライスラー編曲のスラブ舞曲 (in E Minor)
  • ドヴォルザーク「スラブ舞曲」作品72の8番は、クライスラー編曲のスラブ舞曲3番(in G Major)

として編曲され、ヴァイオリンのソロレパートリーとして弾かれています。

他にも有名なものですと、「ユーモレスク」や「わが母の教えた給いし歌」「インディアンラメント」などがありますから、クライスラーはドヴォルザークに敬意を払っていたことでしょう。

クライスラーの伝記には、あの「ユーモレスク」の誕生のエピソード(1903年頃)がありましたので、クライスラーの回想部分をご紹介しておきます。

「それは『ラ・ボエーム』の舞台のような光景で、病んでいかにも具合の悪そうなドヴォルザークはベッドに横たわっていました。彼は自分の全作品をわずかな金に代えてしまって、無一物の状態でした。アメリカでの輝かしい楽団生活で得た収入も、何かわけがあってすっかり使い果たしていました。

私はドヴォルザークの『スラヴ舞曲』の何曲かを弾いていましたので、敬意を表するために年老いた彼を訪問したのです。私に向いた曲はもうありませんかと尋ねると、病める作曲家は雑然と堆積した紙の山を指さして言いました。″そこに積んであるのをよく見てみたまえ。なにか見つかるかもしれん。″私は見つけました。それは『ユーモレスク』だったのです。」

(「フリッツ・クライスラー」白水社151頁)