サイトウキネンの原点

サイトウキネンの原点 |先日、私の従伯叔母(父の従妹)にあたる方とお話できる機会がありました。そのおばは、桐朋音大付属校の第1期生でピアノを井口基成先生に習ったそうで、同窓生には小澤征爾さんや堤剛さんなど錚々たるメンバーがズラリ。以前からお話を伺いたいと思ってはいたのですが、本当に面白い話ばかりでした。

戦後間もない頃、齋藤秀雄(指揮者・チェリスト)や吉田秀和(音楽評論家)、井口基成らが焼け野原に残っていた東京家政学院を間借りして立ち上げたのが、「子どものための音楽教室」でした。敗戦から立ち上がろうという気運の中での音楽教育だったようで、今の東北の震災復興にも大きなエネルギーを感じますが、きっと戦後の日本は、国全体としてそうした雰囲気だったのでしょう。

その中で特に面白かったのが、齋藤秀雄先生がとにかくオーケストラをやりたかった、というお話でした。いわゆるサイトウキネンオーケストラの原点ですよね。

オーケストラにはいろんな楽器が必要です。ヴァイオリンやチェロといった弦楽器は人数が足りたものの、金管パートが足りません。するとなんとピアノ科の生徒さんが齋藤先生からご指名を受け、「あなたはトランペット」「あなたはフルート」ということでパートを任せられたそうなのです。その生徒さんたちは、安くはない楽器を購入し、紹介を受けた先生のレッスンで新しい楽器にチャレンジしました。

私のおばは、齋藤先生から「あなたはホルン」と指名されて、ピアノの練習だけでも大変なのに、弦楽器メンバーの迷惑にならないようにと必死で練習したそうです。齋藤先生は、金管楽器の先生に「あの子はもう大丈夫か」と急かされたとか。本当にオーケストラをされたかったのですね。

それにしても新しい楽器を習い、レベルの高い弦のメンバーとのオーケストラというのは、どれだけ大変だったろうかと思います。

おばは、齋藤先生の妹さんにホルンをもっているところで出会い、「縁談に差し障りがありますからお辞め遊ばせ。兄に申しておきますわ。」と言われたそうですが(笑)。

そんな面白いエピソードを聴きましたが、齋藤秀雄先生をはじめ、本当に音楽への情熱のある先生たちが戦後の大きな復興エネルギーの中でされたんだろうな、と感じられました。おばさまは最後に「本当に大変だったけど、とっても楽しかった」と言われたのがとても印象的でした。