「鈴木メソード」全国大会プログラムによせて
鈴木先生は幼児期からさかんに音楽を、しかも芸術的に最高のものを聴かせることを唱えておられます。ヴァイオリンではクライスラー、チェロではカザルスといった大家の演奏を母国語と同じく幼児期から耳にすることで高い音楽的センスを身につけられるということです。「人は環境の子なり」
私も物心ついたときからこうした音楽が身近にあったことや合同レッスンやコンサートでいつも教本の曲を耳にしていたのは幸せなことでした。いつも「あれが弾けるようになりたい」というあこがれの曲がありました。私は幼稚園から小・中・高そして大学生まで広瀬先生にご指導をいただきましたが、幼い頃から多感な思春期を通しても音楽を聴くことやヴァイオリンを弾くことで不思議と心が安まったことも覚えています。
うまく弾けなくて肩に乗せたヴァイオリンの上に涙のしずくが流れ落ちたことや、中学以降は運動の部活との両立のため練習でくたくたになって家に帰って練習をしたりしたこともよくありました。いま振り返りましてもよく続けてこられた、という思いもいたします。ただ、もうやめたいと思ったことは一度もありませんでした。それだけ音楽を好きになっていたのと、今日のようなグランドコンサートや合同レッスンで大きい人たちと合奏できたことが大きな励みとなりました。
楽器を習うことは子供たちにとり、はじめはおけいこごとの一つかもしれませんし、将来の学歴にもならないのはむろんのことです。しかし母子ともども辛抱のいるおけいこを通じて身につく抜群の集中力、実行力、高い知能は仲間や子供たちを見ても明らかです。そして私がスズキメソードでえられたものはこうした何かの能力にとどまらずもっともっと大きなものでした。
「どの子も育つ、親次第」と鈴木先生は言われました。スズキメソードではお母さんがそばについて子供を見守り、意欲づくりをおこないます。
しかし母と子の二人三脚である毎日のおけいこがもしも○○ちゃんよりうまい、とかヘタとかいった人との比較と競争であったならば曲の進みがゆっくりであった私などとっくにやめてしまったことでしょう。先生や両親、まわりで見守って下さった方は私の腕前を仲間と比べたりは決してしませんでした。いつも「じょうずになったね」とほめてくださいました。
広瀬先生の毎回のレッスンはヘンデルのユダスマカベウスの一節を弾くことで始まりました。鈴木先生の考えられたトナリゼーションという奏法のおけいこです。これは歌の発声練習と同じです。先生は「音を変える、弦を鳴らす」という一点をいつもご指導くださいましたが、音がよくなると、もっとよくと言われます。そこでまたよくなると、もっと立派にと言われます。この果てしない奏法のおけいこは子供たちがそれぞれ、今日より明日、もっと立派に、もっと美しく、という万事に通ずる心の姿勢があるように思います。「音に命あり、姿なく生きて」ということばのように、トナリゼーションによって命ある音を変えるということは心を育てることで、先生によれば音が変わることによって子供の顔つきがよくなり、ともに歩む母親の表情も変わってゆくのだそうです。
お母さんたちが‘教育ママ’でありながら、ほかの子供たちとの優劣や競争なくわが子を育て、子どもとともに心の高さを求め歩む世界、それがスズキメソードではないでしょうか。
「一万年後も人づくりの世界」と鈴木先生の言葉にありますが、本当の教育とは21世紀となった今でも時代に左右されものではないはずです。
あるとき広瀬先生は合同レッスンの際にお母さん方に向かって「生徒たちの顔を見てご覧なさい。みんな丸い顔をしていますよ。」とおっしゃったことがあります。私はこの言葉にスズキメソードが音楽家になることが最後のゴールではなく、高い感覚をもった美しい心姿の人を育てることにあるのだと実感いたしました。
しかしズズキメソードを自分なりにも理解するようになったのは大学時代に鈴木先生の「愛に生きる」を読みなおしてからでした。そのときになってからでも鈴木先生のおっしゃったことが飲み込めるようになったのはやはり「急がず、休まず、諦めず」続けてきたおかげです。ひとつのことを継続してやり続けること、それもひとつの能力だと思います。やめることは簡単で、いつでもできるでしょう。けれどもせっかくおけいこに通い始めて練習してきたのに、あとには何も残らないのは残念なことです。勉強との両立などで苦しいからといって途中でやめてしまったら、一事が万事できっとほかのことをやっても同じことです。
音楽が好きになって、先生が言われた「芸術と人間の高さ」の感じられるところまで諦めずに続けてほしいと思います。
社会人となった今、ヴァイオリンを弾けること、音楽という無形の世界が自分の中にあることは人生の支えとなっています。先生と両親からは一生の宝を与えてもらいました。
私は今でも暇さえあればヴァイオリンをケースから取り出し、子どものときと同じように練習をいたします。演奏を聴いてくれる友人は「楽器が弾けるっていいなあ」と言ってくれます。