懐古趣味

懐古趣味 |

 今思い起こせば変わった子どもだったと思う。

 私は小学生の頃から古い物に興味があった。周囲からはレトロ趣味、懐古趣味でもあるのかと映ったかも知れない。

 はじめには切手収集がある。今でこそ流行らないものの、当時は誰でも切手集めくらいは珍しいことではなかったが、私は19世紀から20世紀初頭にかけてのドイツをはじめとしたヨーロッパの古い切手ばかりを集めていた。カタログを見ながら揃えていくのが楽しくて仕方がなく、展覧会に出したり、外国の切手商に注文するほどの熱の入れようだった。

 切手と言っても、19世紀中頃の黎明期はキリトリ目である目打もなかったり、デザインも手彫りであったり、透かしやエンボス加工が施されていたりと芸術品のような美しさがある。

 そして、普仏戦争当時のものや、ドイツ、イタリアの統一前後の切手など歴史とのつながりが肌で感じられたので、暇さえあればルーペで眺めては楽しんでいたのである。収集癖は中学生の頃まで続いたが、今でも十分に観賞価値のあるものだと思っている。

 また、ヴァイオリンを習っていたり、父がレコード収集をしていた影響もあるが、中学生になる頃に20世紀初頭の演奏録音を聴いたことで、切手と同じように火がついた。この時期のものは蓄音機の針音が混じっているが、それもまた良い味わいがある。録音には、リストの弟子のピアニストや、ツィゴイネルワイゼンの作曲者であるサラサーテ、ブラームスの親友であったヨアヒムといったヴァイオリニストの演奏などもある。音楽史上の人物の息遣いを身近に感じることができるのである。

 そうした中で最も惹きつけられたのがフリッツ・クライスラーという演奏家で、そのヴァイオリンの美しい音色に魅了されて貪るようにレコードを探し求めた。1920年代をピークとして厖大な録音が残されているが、その演奏に聴き惚れながら、多感な思春期を過ごした思い出がある。

 そのほかにも、チャップリンの喜劇映画はほとんどすべて観ていたし、いまだに本屋に立ち寄ると、江戸末期や明治期の写真集を見たりするから、やはり自分には懐古趣味というべきものがあるのだろう。

 前世というものがあるかと言うなら、その存在は信じているものの、何かを思い出したとか、懐かしいと感じることは何もない。ただ、こうした懐古趣味を子どもの頃から顕著にもっていることを考えると、どうやらこの19世紀末から20世紀にかけて一度は人生を送ったのかもしれない。そして何か思い残すところあってまた生まれ変わってきたのかも知れないと思うようになった。

 前世を送っていなかったとしても、平成から令和の時代へと移り、明治・大正・昭和という時代も遠い断絶した過去のようになったが、わが子の子育てをする中で親から子へは確実に何かが伝えられてきたと実感できるし、それを一世代も欠かさずに連綿とつないできたからこそ今日のわれわれが存在していると感じる。

 先述のフリッツ・クライスラーというヴァイオリニストには憧憬という感情を抱いたまま今日に至るが、数年前に、祖父の実家から一枚の大きな写真が出てきた。それは、大正12年に来日したクライスラーの歓迎会のような写真であり、裏には「東京会館」とあった。テーブル席に和服を来た女性や、正装した男性が30人ほど写り、奥にクライスラーと妻のハリエット、ピアノ伴奏者のラウハイゼンが腰かけている。そして、驚いたことにその写真の左端には私の曾祖母が腰掛けているのであった。そのときの感動は今もって言葉では表すことができない。 曾祖母は、お雇い外国人にヴァイオリンを習ったとのことであるが、そうした縁でこの歓迎会に出席していたのであろう。100年も経った遠い過去であるが、私には何か見えないつながりが確実に今でも存在していることをはっきりと感じたのであった。