法律のありすぎる国 ―『マレー諸島』

法律のありすぎる国 ―『マレー諸島』私は昆虫採集など格別に好きではないのに、19世紀イギリスの博物学者ウォーレスの主著『マレー諸島』は何度読んでも面白い。なぜ面白いと言われても、色々なことが面白くて一口には言えないのだが、まずは、未開野蛮の東南アジアで暮らすウォーレスが文明の頂点にあるイギリスに対して皮肉を言うところが面白い。

例えば1857年の3月、赤道直下のドボの村に滞在したウォーレスは、政府もなければ、警察も裁判所もないこの土地で、殺人も略奪も起こらないのを不思議そうに眺めている。事実の上では無政府なのに、一向に無政府状態は起こらないのである。

ウォーレスは書いている。「そこから見ると、山のように巨大な政府の庇護のもとにあるヨーロッパが実に奇妙なものに見えてくる。イングランドでは、議会が毎年何百もの法律を制定して私たちが互いに殺しあったりしないよう、隣人からされたくないことを隣人に対してしないようつとめている。そして何千人もの弁護士が何百という法律がそれぞれどういうものかを私たちに教えることに生涯を費やしていることを考えるとき、この土地に法律がなさすぎると言うなら、イングランドには法律がありすぎると言わねばなるまい」。

この東南アジアの未開野蛮の土地では政府も警察も法律もないのに、なぜ犯罪が起こらないのだろう。色々な理由があがるだろうが、そのひとつとして私は彼らの村や町の人口が比較的少なく、誰が誰であるか金おたがいに知り合う仲だからだと思う。

それに対しイングランドでは、とりわけロンドンには、百万二百万という厖大な数の他人が密集して暮らしている。他人同士だからなにが起きるかわからず、他人同士だから法律も必要になるのだろう。その法律もこれだけの数の人間に適用するとなると色々な種類が必要になり、またその法律の執行にも厖大な数の人間がいることを考えると、私の頭などではその先を想像することもできなくなるが、要するに今の東京はむろんのこと、これだけ厖大な数の他人が密集して暮らしていること自体がきわめて不自然な暮らしかたであるにちがいない。

先頃鳥取で起きたマグニチュード7の大地震は死者がゼロだった。もしこれが東京で起きていたら死者は万になんなんとする数だったという推測を聞くにつけ、巨大都市の不自然、反自然を思わざるをえないのである。(2001・10・17)

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